ブックタイトル日本結晶学会誌Vol59No6

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概要

日本結晶学会誌Vol59No6

日本結晶学会誌59,316-317(2017)甲斐泰先生を偲ぶ日本結晶学会の元会長(2010~2011年度)で,大阪大学名誉教授の甲斐泰先生は,去る2017年7月6日(木),虚血性心疾患のため急逝されました.享年74歳でした.先生は,1943年(昭和18年)5月20日に満州国新京市特別市でお生まれになり,終戦後すぐに帰国され,7歳までの幼少期を今の大分県佐伯市で,それ以後は大阪で過ごされました.1963年(昭和38年)4月に大阪大学工学部応用化学科に入学され,Ⅹ線との出会いは1967年(昭和42年)4月,修士課程に入学されたときでした.まだ誕生して1年しか経過していない角戸研究室に所属されたことがきっかけでした.当時在籍された角戸教授,笠井助教授,安岡助手,植木助手,金久技官のご指導の下で,「アセトアルデヒドの立体特異的重合触媒およびそのモノマー複合体の結晶構造解析」を行い,修士号を取得されました.その後,博士課程に進学され,1年が経過した1970年(昭和45年)4月に大阪大学工学部石油化学科物理化学講座の助手(笠井研究室)に着任されました.1969年(昭和44年)~1973年(昭和48年)までに得られた高分子重合触媒の構造と機能の相関に関する知見を基に,「トリアルキルアルミニウム-酸アミド触媒によるアセトアルデヒドの立体特異的重合反応の分子構造的研究」としてまとめられ,博士号(工学博士(大阪大学))を取得されました.1978年(昭和53年)5月からの1年半は,スイス連邦共和国チューリッヒ工科大学Jack Dunitz教授の下で客員研究員として充実した留学生活を過ごされました.帰国後,1985年(昭和60年)には助教授に昇任され,1993年(平成5年)5月からご退職となる2007年(平成19年)3月までの15年間,大阪大学大学院工学研究科の教授として研究室を主催されました.この間,種々の高分子重合触媒について「触媒-モノマー錯体」,「触媒-モノマー-助触媒モデル錯体」,「触媒-阻害剤錯体」などの結晶構造を基に構造化学的見地から立体特異的重合機構について考察したほか,シクロファン・アヌレン・サーキュレン・ビカリセンなどの一連の特異なπ電子構造をもつ有機化合物の構造化学も追究され,構造と機能に関する研究を推進されました.20年近くの間,「前周期遷移金属-活性有機基質複合体」に関する構造化学的な研究を中心に多数の欧文雑誌に発表され,これら一連の研究を「活性有機分子の構造化学的研究」としてまとめられ,その成果に対して日本結晶学会から1991年IUCr2008のClosingセレモニーで事務局長として総括しました.暑くてたまらず氷の上で寝そべっているシロクマの写真を使い,笑いを誘いながら会期中の異例の気温のことをお話しされました.度(平成3年度)の日本結晶学会賞が授与されました.1980年頃からは金属タンパク質の構造解析にも取り組まれました.アズリン,プラストシアニン,亜硝酸還元酵素など一連の銅タンパク質のほか,マグネシウムイオンやマンガンイオンが反応に関与する光合成関連タンパク質として,C3植物のリブロースビスリン酸カルボキシラーゼ・オキシゲナーゼ(RuBisCO)やC4植物のホスフォエノールピルビン酸カルボキシラーゼ(PEPC)などの炭酸固定酵素の構造化学に関する研究に従事されました.特にPEPCは世界初の構造を解析し,「酵素-阻害剤錯体」,「酵素-活性中心金属-阻害剤錯体」,「酵素-活性中心金属-基質類似体-阻害剤錯体」,「酵素-活性化因子錯体」など一連の構造解析を基に炭酸固定の反応機構を明解に示されました.大阪大学をご退職された後は,学校法人金井学園福井工業大学に移られ,定年退職となる2013年(平成25年)3月までさらに若い研究者の教育,研究指導に従事されました.日本結晶学会とのかかわりをまとめて記載すれば,長年,各委員会の委員,評議員を務められただけでなく,執行部で庶務幹事・情報幹事・行事幹事なども務められました.情報幹事時代には,日本科学技術情報センター(JICST)の結晶データベースの構築に日本結晶学会として協力する体制づくりに寄与され,粉末Ⅹ線回折による構造解析に利用されています.また,2期連続で行事316日本結晶学会誌第59巻第6号(2017)