ブックタイトル日本結晶学会誌Vol59No6

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概要

日本結晶学会誌Vol59No6

小松一生,山根崚,則竹史哉,町田真一とすると,その可能な配置数は1.2×10 176となり,これは観測可能な宇宙に存在する全原子の数(およそ10 80)* 2をゆうに超えている.nがアボガドロ数個ともなれば,その配置数は天文学的という表現すら当てはまらないほど無数に存在することになる.これら無数の水素配置の中から自由エネルギー的に有利な配置が「秩序相」として低温で現れることになるが,不思議なことに現在まで発見されている氷の多形には,1つの無秩序相に対し1つの秩序相しか見つかっていない.氷多形に多くの準安定相があることを考えれば,最安定の水素配置ではない“ほかの秩序相”が出てきても良さそうなものである.本報では,最近われわれが行った氷XVという氷VIの秩序相に関する研究を中心に紹介するが,結論から述べれば,この氷XVには最安定の秩序配置以外の配置が共存している可能性が高い.さらについ最近,この氷XVにはこれまで見出されている秩序配置以外の“ほかの秩序相”が存在する可能性も指摘された.6)氷VIは水を室温で加圧することでできる最初の高圧相であり,圧力による状態変化を象徴する相である.そのためこれまで数多くの実験や理論計算がなされてきたが,“ほかの秩序相”が指摘されるようになった背景には,従来の実験や計算にいくつかの矛盾があったことが関係している.“ほかの秩序相”問題を議論するためにも,まずはこの氷XVに関する矛盾について整理してみよう.1.2氷XVをめぐる混乱と矛盾氷VIの秩序相である氷XVが,初めて“ローマ数字付き”の形で報告されたのは,2009年のSalzmannらの論7文)においてである.先述したように,氷の多形にローマ数字が割り振られるのは,その相の結晶構造を決定づけるような実験結果が得られたときのみに限られ,Salzmannらの中性子回折実験による空間群および原子座標の導出は,その条件を満たしていたということである.ここで,氷XVに関する問題点を明らかにするために,7Salzmannらの研究)について,少し詳しく紹介する.彼らは,DClを0.01 mol/L添加したD 2O溶液を冷却・粉砕して得られた氷粉末を,液体窒素で予冷した圧力セル中に封入し,低温のまま0.9 GPa付近まで加圧,250 Kでアニーリングした後に,80 Kまで0.2 K/minで徐冷することで,氷XVが得られたと述べている.その後,詳細な構造解析は,液体窒素中で常圧に回収した試料から得られた粉末中性子回折パターンを用いて行われている.彼らは,氷VIから得られる可能な秩序構造のうち,P1,P2 1,Pn,Pc* 3の空間群をもつ18の構造モデルを基にリートベルト解析を行い,回折パターンとの一致度から,P1とP2 1に絞り,さらにP1のみが二次相転移におけるランダ8ウ理論)と整合的であるとして,氷XVの空間群をP1であると結論づけた(後述するように,この導出にはいくつかの問題がある).一方で,氷VIの秩序相の存在そのものについては,かなり以前から,中性子回折, 9,10)誘電率測定, 11)熱膨張係数, 12)比熱, 13)ラマン散乱14)といった各種測定によって示唆されていた.また,理論計算による秩序構造の推定も複数なされている. 15,16)問題は,誘電率測定の結果や理論計算による最安定構造は強誘電的な水素配置を示唆しているのに対し,中性子回折の結果は反強誘電的な水素配置を示していることである.この矛盾は2011年に17Salzmannら自身によるレビュー論文)でも,氷多形に関する5つの未解決問題の1つとして取り上げられ,このレビュー論文を機に,新たに比熱測定, 18)ラマン散乱, 19)理論計算20,21)が行われた.例えば,Whaleら19)は低振動数ラマン散乱のパターンを,密度汎関数法を用いた計算から予想される振動数と比較することで,P1モデルを支持した.Whaleらとほぼ同時期に発表されたNandaとBeran 21)の理論計算でも,従来の理論計算で最安定とされていたPcモデルではなく,P1モデルが最安定と結論づけた.一方,その一年後に発表されたDel-Benら20)の理論計算では,やはりPcモデルが最安定であるとしながら,強誘電的水素配置をもつPcモデルでは,表面に現れる電位による表面エネルギーが有意に大きくなることで,反強誘電的な配置をもつP1モデルが有利になる可能性も指摘している.これら2009年以降の研究では,中性子回折から推定されたP1モデルを中心に議論が展開されていたが,依然として強誘電的秩序を示唆する誘電率測定の結果との矛盾を解消するものではなく,いずれの研究でもP1モデル自体に疑義を唱える論調は張られなかった.氷XVの格子は,ほぼ正方晶系の格子の対称性をもっていることは確実であり,もし本当にP1であれば,結晶学的に非等価なピークのほとんどが,氷VI(P4 2/nmc)のときには等価であった別のピークとほぼ同じd値をもつため,粉末回折では互いに重なってしまうことになる.このような状況で,はたしてP1モデルのみに候補を限定してよいのか,疑問をもつのは当然のことのように思われる.筆者が氷XVの問題に取り組み始めたのは,ちょうどSalzmannらの論文が発表される直前の2008年ごろであった.当時,英国の中性子施設ISISにて氷VIの徐冷による秩序化を目指していたが,低温かつ高圧という条件を精密にコントロールすることが難しく,実験は難航していた.その後,2009年から2012年ごろにかけて,J-PARCのPLANETビームライン22)において,低温高圧下でその場中性子回折実験が行える新しい装置(通称「Mito*2観測可能な銀河の数や,平均的な密度と水素の質量などから大雑把に見積もった値で,信用に足りる文献は見当たらないが,複数の見積もり結果が10 80程度となっているようである.*3多くの先行研究ではPcではなく,単位格子をa’=a+b,b’=-a+b,c’=cのように変換して非慣用的なCcで表記しているが,物理的な意味はないと思われる.氷VIとの比較では,Pcのままのほうが都合がよいため,原著論文および本稿ではPcとした.294日本結晶学会誌第59巻第6号(2017)