ブックタイトル日本結晶学会誌Vol58No5

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概要

日本結晶学会誌Vol58No5

新刊紹介無機化合物の構造を決める-X線回折の原理を理解する-井本英夫著日本化学会編化学の要点シリーズ15共立出版(2016)定価1,900円+税ISBN 978-4-320-04420-3本書はサブタイトルに「原理を理解する」とあるように,実験手順などをすべて潔く省くことにより,B6判200ページにコンパクトにまとめられたX線回折の解説書である.第1章「結晶とX線」は,X線回折・結晶・対称操作・並進対称性・結晶格子・格子点など基本的概念の簡単な紹介から始まる.それに続き,回折実験で用いられる入射X線を表す平面波について,読者がイメージしやすいように,一次元・二次元の正弦波とともに図示することにより,丁寧に説明している.しかし,その直後に示されている「実は,X線回折の話では2種類の波が出てくる.1つは,今述べたX線という電磁波で,進行する動的な波である.もう1つは結晶の中の電子密度分布に含まれる静的な波である.(中略)より重要なのは電子密度分布の波で,この波の数学的な取り扱いが理論の骨格である.」から始まるくだりは,X線回折に対する著者の観点を示していて興味深いものの,(特に化学分野の)初学者には難解に思われるであろう.第2章「X線回折の幾何学」はベクトルの定義の復習から始まる.高校数学の指導要領に無秩序としか言いようのない改変が繰り返し行われ,高校卒業生が共通してもつべき数学的素養の基盤が崩壊した結果,大学生向けの教科書がここから書き始めなければならないことは悲劇である.ただし,ベクトルの定義から内積・投影の長さの求め方・平面の方程式まで,要領よく5ページにまとめられたこの部分は,ベクトルは理解していると自負する読者にも読み応えがあるだろう.引き続いてLaueの条件やBraggの条件など,結晶によるX線の回折に話題が移るが,進行波をA sin[2π{ωt-x/λ+a}]で表す流儀と,A sin[2π{x/λ-ωt+a}]で表す流儀,それぞれの起源について考察したうえで,フーリエ展開・フーリエ変換における符号との関連について指摘するなど,さまざまなバックグラウンドの読者に対する配慮が見られる.この章の最後は単位胞ベクトルの変換に伴う座標の変換についての解説に割かれている.評者の記憶が確かであれば,座標変換について詳しく述べた邦文の教科書は桜井敏雄著「物理科学選書2 X線結晶解析」(同じ著者による「応用物理学選書4 X線結晶解析の手引き」の姉妹書)以来と思われる.類似構造との比較・相転移の考察・直方晶系における標準的な空間群名の採用など,構造に関する考察をまじめに行おうとすれば座標変換は頻繁に行わなければならない作業である.それが本書のようにコンパクトな書物に要領良くまとめられていることは意義深いことであると思われる.第3章「構造因子」はフーリエ変換とフーリエ展開の解説を皮切りに,結晶構造因子について述べている.原子散乱因子から始めて結晶構造因子を導く類書と異なり,結晶構造因子の解説の後に原子散乱因子が紹介されていることに違和感を感じる読者も多いかもしれない.しかし,結晶によるX線の回折を,周期的な電子密度分布のフーリエ変換ととらえる本書の立場からすれば自然な流れであろう.また,「無機化合物」の語を冠する書名から抱く読者の期待に違わず,各元素の異常分散項やX線吸収断面積などをグラフで示し,重原子を数多く含む結晶の解析にあたって注意すべき点について,わかりやすく解説している.第4章「結晶構造の対称性」では,冒頭に群の定義を述べた後,点群対称操作,その組み合わせ,並進を伴う対称操作と話を進め,読者を空間群へと自然に導いている.ブラべフロックや二重映進面など,最新のInternational Tablesに準拠した内容となっている.しかし,晶系(Crystal System)に関しては,4種の流儀が乱立していることを示した上で,International Tablesと袂を分かち,三方晶系と六方晶系をまとめて「六方晶系(広義)」とする流儀を採用しているのは残念である.この章の後半は,空間群記号の解読方法を示すフローチャートや,直方晶系における軸変換に伴う空間群記号の書き換え,見かけの消滅測が生じる例など,実際の構造解析で直面することが予想される問題に対して,対応指針を明快に示している.最後に示されている,反転対称をもつ構造について,反転対称を保つ歪みと反転対称を失う歪みそれぞれが構造因子に与える変化を詳述している部分は特に興味深い.読者はこの記述から,反転対称を失う歪みがあることを確実に裏付けるためには,十分な精度のデータが必須であることを読み取るべきであろう.このように,類書とはやや異なった視点からの記述もいくつかあり,そのスタイルに戸惑う読者もいると予想されるが,さまざまな事柄に対してサブタイトルにあるとおり「原理を理解する」ところから説き起こした興味深い解説が多々ある.著者が前書きに記した「ああ,そういうことか!」と読者に思わせることに成功しているように思われる.まったくの初心者のみでなく,ある程度知識と経験をもち,理解を深めたい読者に推薦したい一冊である.(日本大学文理学部尾関智二)230日本結晶学会誌第58巻第5号(2016)