ブックタイトル日本結晶学会誌Vol58No5

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概要

日本結晶学会誌Vol58No5

新刊紹介増補改訂「量子分光化学-分光分析の基礎を学ぶ-」河合潤著,アグネ技術センター(2015)定価2,400円+税ISBN 798-4-901496-75-9本書は量子分光化学の基礎を勉強するための教科書で,著者の前書きにもあるように,京都大学工学部物理化学科の3年生に分光分析に必要な量子力学の基礎を教えるための講義ノートが基になっている.それゆえ,140ページ程度と割合に少なめの分量ながら,数式と説明がコンパクトに詰め込まれており,内容は非常に濃い.「化学」と銘打っており,さらに高校で習う数学と物理の教科書を傍らにおいて式を導くことができるとあるので,化学者がタイトルに惹かれて,読み出すと式ばかりで,頭の固くなった私では相当時間をかけないと完全にはフォローできないと感じた.まさに現在,量子化学などの講義をうけている大学生,大学院生が読むにふさわしい.本書は,全10章からなるが,タイトルにもある「化学」が出てくるのは,後半の4つの章で,前半はそれに行き着くまでの量子力学的な基礎の解説に費やされている.量子「化学」しか習わなかった大学化学科卒業の私にはなじみの薄い項目ばかりであった(習ったのに単に忘れているだけ?).最初の第1章から3章で調和振動に基づく光子の量子化と波動,屈折,シュレディンガー方程式,を取り上げ,光の量子力学的取り扱いの基礎を学ぶ.第4章から6章までは,摂動論とイオン結晶への応用,黒体放射,生成・消滅演算子と場の量子化といった,光の吸収・放射に関連する量子論を回折する,第7章から10章で「電子分光,分子の対称性,赤外・ラマン分光,スピン-軌道相互作用,など分光化学について量子力学的な取り扱いを解説する.前半でも特に目を引くのが,第1章の「X線のブラッグ回折とボーア-ゾンマーフェルとの量子化条件」である.X線回折と量子化条件がどう結びつくのかというと,まず調和振動を粒子の運動量(p)と座標(q)を用いてハミルトン形式の運動方程式で記述し,pとqの位相空間でプランク定数を用いた軌道の量子化条件を定義する.結晶によるX線の反射(回折)いわゆるブラッグの式を,X線光子の調和振動に対し格子面間隔dをもつ結晶面に同様に量子化条件をあてはめると,X線光子から結晶面への面に垂直方向の運動量の移動の変化が量子化された条件に限定されるので,それを満足するように日本結晶学会誌第58巻第5号(2016)入射角θのX線だけが反射していく,ということで導出される.従来X線の「波」の干渉で説明されてきた式が,光を振動する「粒子」として取り扱ったままで説明されるという独特の記述が印象的である.続く第2章「最小作用の原理と屈折」でも,一般的に光子の波動性を用いて説明されてきた現象を調和振動による光の粒子性を用いて十分説明できることが強調されている.逆に光の粒子性を特徴づけるコンプトン散乱については波動性を用いて非常に速い速度で動く格子面での回折のドップラーシフトとして扱うことも可能なことが参考として述べられており,読者が良い意味で常識とは異なる考え方に揺さぶりをかけられる.各章は,表題のテーマについて割合平易な数式を用いた丁寧な説明の後に,演習/レポート問題が続き,章末に参考書,参考文献,章によっては「読書案内」が付属している.頭の固くなった私をふくめた先生方は,なかなかきちんとフォローできない「式」を飛ばして,つい参考文献のほうに目がいってしまうだろう.というのもこの参考書・文献には詳しい説明が記述されており,そちらのほうについつい夢中になり,引用文献まで真剣に読む気にさせてしまうのもこの本の特徴である.さらに,各章の冒頭に,フランスの数学者ならびに科学者であったアンリ・ポアンカレの著書(科学と仮説,科学と価値,科学と方法)から,その章に関連する文章が引用されているのも特に目を引く.純粋に「科学のための科学」とは何かを説き,科学における「仮説」の重要性を示す,ポアンカレの言葉は,現在のわれわれ科学者が改めて考えさせられる箴言である.読み始めると挙げられているさまざまな参考書が気になって,なかなか先に読み進められない.私自身も各章冒頭のポアンカレの言葉が気になり,引用元の岩波文庫(ページも掲載してあるので)も入手して読んでしまった.私は量子力学の授業を受けたことがないので,この本での量子力学の基礎の解説がほかの教科書とどの程度異なるのかわからないが,大学時代に読んだ量子化学の本と比較してもかなりユニークだと感じた.その原因は本書の著者が「あとがき」で述べているが,古典力学の延長で量子力学を創った科学者たちの考えに力点をおいた取り扱いがなされていることである.最後に,第7章の冒頭に引用されているポアンカレの言葉を挙げておく.「実験はいつもこみいっている条件の下で行われるが,法則の記述ではそういったこみいったことを消し去ってしまう.これが『系統的誤差を修正する』と呼ばれるものである.一言で言えば実験から法則を導きだすためには普遍化しなければならない」(科学の価値岩波文庫).量子論の式があまりにも美しいため,理論だけが先行していると思われ,それが実験から導きだされたことを忘れがちだが,この本では具体的な演習問題で理論が実際の科学実験に直接結びついていることを思い出させてくれる.振り返って,自分の研究において実験からどれだけ普遍化し法則を導き出すことができただろうか.(兵庫県立大学大学院物質科学専攻小澤芳樹)229