ブックタイトル日本結晶学会誌Vol57No2

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概要

日本結晶学会誌Vol57No2

日本結晶学会誌57,134-135(2015)長倉繁麿先生を偲ぶ本会元会長(1984~1985),東京工業大学名誉教授,長岡技術科学大学名誉教授,理学博士長倉繁麿先生は,2014年12月6日,肺癌のためご逝去されました.享年88歳.12月6日付で従四位瑞宝小綬章を授与されました.長倉先生は1926年3月15日,栃木県の鷲子山上神社の祠官を代々勤めて来た長倉家の三男義彦神官の三男として誕生,1944年9月,山形高等学校理科(甲類)を卒業し,1944年10月に東京帝国大学(東大)理学部物理学科に入学し,1947年9月に卒業している.卒業研究の嵯峨根亮吉研究室で,長倉先生は真空技術の開発研究を命ぜられました.同研究室には同期生として江崎玲於奈先生が居られたが,互いに研究分野は異なっており部屋も別でした.大学卒業後某製薬会社に就職したが,翌年2月には同社を退職し,高木左知夫先生(当時東大物理学教室助手)の紹介で,2月29日に東京工業大学(東工大)工学部金属工学科物理冶金学講座桶谷繁雄助教授の研究室の研究嘱託として,次いで,3月31日に副手として勤務することになる.桶谷先生は,フランスのJ. J. Trillat教授の下で電子回折法を学ばれ,その研究手法を日本の金属工学分野に導入し研究開始するということで,真空技術の知識と体験のある長倉先生を採用しました.1949年,三宅静雄先生が小林理研から東工大の物理学教室に本庄五郎助教授と久保(後,高木)ミエ助手を伴って,着任されました.桶谷先生が再渡仏されることもあり,電子回折装置の設計に関しては三宅静雄先生にご指導を委託し,それ以後先生の研究室に出入りすることになりました.1962年から1年間,フルブライト交換留学生として,Indiana UniversityのProf. Walter J. Moore研究室に留学し,金属薄膜への放電によるヘリウム原子の注入研究に従事した.帰国後,1965年12月に工学部金属工学科物理冶金学講座の助教授に就任されました.桶谷・長倉研究室として学生の配属が始まり,その最初の一人が私でした.1957年に三宅先生が東京大学物性研究所に転任されており,当時は,本庄五郎教授と高木ミエ助教授の研究室となっていました.将来の研究分野の進展を考慮してか桶谷・長倉研究室も電子回折・電子顕微鏡法とX線回折法に関係する金属工学分野へ応用する研究が開始しました.当時研究室では,金属工学科ということで,長倉繁麿先生鉄鋼の相変態の研究,金属炭化物の相変態過程の研究,金属薄膜の塑性研究などが行われていました.私は,長倉先生の意向と何もないところからスタートする挑戦的好奇心から,X線回折法の研究を選択し,中古の高圧トランスや安定電源装置などを集めて,X線発生装置を製作した.カウンターもなく,エックス線フイルムのみで研究可能ということで,当時高木先生がイギリスのLang教授から伝授された「X線回折顕微法(X線トポグラフ法)」の金属工分野への応用に目標を絞り,高木先生の指導を受け,学生実験用分光器の回転目盛盤などを活用した装置を試作し研究を開始した.長倉先生が編集した「足跡」(後述)には,恩師として受けたご指導への深い感謝の意を表すべく桶谷繁雄先生,三宅静雄先生,本庄五郎先生,高木ミエ先生の写真を掲載しております.特に,長倉先生の著書「物質の構造」をお贈りしたときの礼状はがき「この種の本としては,なかなか内容が豊富でしかも大変要領が良い好著であると敬服しています.昔から独特の発想をされ,かつその表現力に長けておられていた事を知っておりますから,なる程と思う点が多々あります」を掲載し,大変に光栄でうれしかったと述懐されており,三宅先生には常に畏敬の念を抱いていたことがわかります.先生の最初の単著研究論文は「固体表面における二塩基酸エステルの分子配列の研究」(1953)です.1953年134日本結晶学会誌第57巻第2号(2015)