ブックタイトル日本結晶学会誌Vol57No2

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概要

日本結晶学会誌Vol57No2

『斜方晶系』をやめて『直方晶系』を使おうこのような日本の結晶学やその周辺分野に衝撃を与えたのが,ポーリングの『The Nature of the Chemical Bond』(1939)13)やブラッグの『TheCrystallineState,Vol.I:AGeneral Survey』(1939)14)であろう.これらの本では結晶学は外形の研究ではなく,結晶内の原子・分子の配列と相互作用を解明することにあると強調している.X線結晶構造解析が結晶学の中心課題となってきたのである.ただし第二次大戦が始まり研究は中断した.戦後,これらの訳本も出版され,15),16)結晶学の重要さは見直されるようになった.結晶学は物質を学ぶ学生に必須の知識となったが,その結晶学の講義では単位格子や対称要素の説明が必須であり,まず7つの晶系の単位格子の形を説明することになる.このときほかの晶系は単位格子の形がそのまま晶系の名前となっているので問題がないが,斜方晶系だけ説明に困ることになる.斜方とは菱形のことだと説明しても,直方体型の単位格子をもつ晶系がどうして菱形なのか,という疑問が起こるのは当然である.外形の研究を将来行うなら「外形には{110}や{111}がよく表われるからだ」と言えば何とか説明にはなったであろう.しかし今や単位格子の内部の原子・分子の構造を説明しているのであるから,結晶の外形を説明する必然性がまったくない.「屁理屈を言わずに覚えろ」と教師の強権を発動する(可能なら?)しかない.要するに,外形の観察が研究の主体であった頃には「斜方晶系」で問題が生じなかったが,単位格子の内部構造が問題になった時点で矛盾が生じたのである.本来ならブラッグ父子の食塩の構造解析の時点で「直方晶系」に変更すべきだったのが放置されてきたのである.それなら英語表現でも同じ運命ではないか,と思われるかも知れないが,「rhombic」に「真の」という意味の「ortho」を加えて,「orthorhombic」にした程度で「菱形」の意味は別に変わっていない.ところが英語で「直方体」という表現は「rectangular parallelepiped」である.このほうが却ってわかりにくい.「orthorhombic」のほうが簡単である.このあたりが表音文字の気楽なところで,別に文字に特別な意味がないので,その発音する用語の内容はこれだと決めればよいのである.しかし表意文字の日本語では個々の文字に意味をもつので,「簡単だから」というのは理由にはならない.「斜方」と「直方」では異なる形がイメージされるからである.ちなみに中国語の元素表記を見れば,100個以上の元素にすべて漢字を割り当てている.その際に気体元素は「気冠」の脚部分を変えた文字,岩石元素は「石偏」の「つくり」を変えた文字,金属元素は「金偏」の「つくり」を変えた文字を創作している.しかもその元素の特徴を示す「脚」や「つくり」を入れて文字を作ることになるから大変な労力である.日本も明治時代の先人は必死になって意味を考えて用日本結晶学会誌第57巻第2号(2015)語を割り当ててきた.そのお陰で私達は外国で発展した科学を日本語で理解できるという恩恵を受けてきたのである.最近は安易にカタカナを使っているが,この日本流文化を続けるには常に用語に関心をもつべきである.戦後の混乱期を克服した1970年代になると,日本の結晶学も欧米諸国と同じレベルに到達し,1972年にはIUCr京都大会を開催する状態にまで発展した.その結果これまでのような受け売りの知識ではなく,自前の知識や創造力が必要になってきた.1980代以降の日本の結晶学の進展には驚くべきものがある.2014世界結晶年を記念して出版された『日本の結晶学(II)―その輝かしい発展―』がそのことを明瞭に表している.この流れの延長に高野や桜井の先駆的な提案があったと筆者は理解している.6.おわりに今回の2014世界結晶年の年に開かれた結晶学会総会の決議によって,100年ぶりに初心者を惑わす訳語が変更されたことは本当に喜ばしい.科学の進歩は不変である.しかし進歩するからその中身は常に変化している.私達はその変化に迅速に対応することを忘れてはならない.最後に余談だが,昨年10月末に,「斜方晶系」という題名の小説が出版された.17)秋田の黒鉱の成因の解明に苦闘する研究者を描いた小説であるが,ある成因説の正当性を証明するにはそこで見つけられた鉱物が新種であることが必須条件であり,新種の条件はその結晶が「斜方晶系」に属すること,という筋書きである.その結末は小説をお読み頂きたいが,なぜ「正方」や「単斜」ではなく,「斜方」でなければならないのかは不明である.多分,「斜方」という言葉のもつ「神秘性」が著者に本の題名にまでさせてしまったのだろうと推測される.この題名の起源がなくなって残念であるが,科学に「説明不能な神秘性」は不要であろう.文献1)高野幸雄:岩石鉱物鉱床学会誌76, 63(1975)[この文献を紹介して頂いた東工大の植草氏に感謝する].2)桜井敏雄:日本結晶学会誌23, 303(1981).3)桜井敏雄:X線結晶解析の手引き,裳華房(1983).4)大橋裕二:X線結晶構造解析,裳華房(2005).5)大橋裕二:結晶化学-基礎から最先端まで-,裳華房(2014).6)佐澤太郎訳:勞氏地質学,文部省(1879).7)茂木春太訳:平岡盛三郎閲,羅斯珂氏化学巻五(1879).8)小藤文次郎:鉱物学初歩上巻(1885).9)松本駒次郎訳:松本榮三郎編,鉱物学教科書,嵩山堂(1890).10)菊池安編:中等教育鉱物学教科書,敬業社(1891).11)神保小虎:新撰鉱物学教科書,冨山房(1897).12)伊原敬之助:結晶学,興文社(1916).13)L. Pauling: The Nature of the Chemical Bond(1939).14)L. Bragg: The Crystalline State, Vol. I:A General Survey(1939).15)小泉正夫訳:化学結合論,共立出版(1962).16)永宮健夫訳:結晶学概論,岩波書店(1953).17)木ノ内嗣郎:斜方晶系,郁朋社(2014).133