ブックタイトル日本結晶学会誌Vol57No2

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概要

日本結晶学会誌Vol57No2

大橋裕二4.斜方晶系の歴史各大学の図書館のシステムが大幅に変更されていて,古い単行書などは廃棄の運命にあり,古い資料を遡ることはきわめて困難になった.今回は国立国会図書館を中心に検索したが,国会図書館納本制度ができる昭和23年以前の蔵書は不十分であり,とくに自然科学分野は貧弱である.検索システムも使いにくいので,すべての資料に辿り着くのは困難である.とりあえず,簡易検索で,物理学,化学,鉱物学,地質学,結晶学の分野で「結晶」について記述した単行書を検索した.もっと詳細に検索すれば資料が増える可能性はある.検索の結果,「結晶」のことを記述した最も古い単行書は,明治12年発行の翻訳書2冊である.文部省発行「勞氏地質学」6)と東京大学理学部発行「羅斯珂氏化学巻五」7)である.文部省が明治4年,東大が明治10年に発足したことを考えれば,当時の教育関係者の熱意に驚嘆する.ところで,明治12年(1879)という年は,結晶学の発展の歴史を考えれば,結晶の外形から7つの晶系に分類され(1815),その対称性は32種の晶族(1826)や14種のブラベ格子(1848)に分類できることが明らかにされた頃である.230種の空間群理論の完成(1891)からレントゲンのX線の発見(1895),ラウエのX線回折現象の発見(1912)より前であり,外形の観察から出発した古典的結晶学が結晶内の原子・分子の構造を解明する近代結晶学へと転換する頃であった.「勞氏地質学」は1869年にフランス・ボルドー大学のローランによって大学の講義用に書かれたもので,佐澤太郎によって翻訳されている.この本の第五章「幾何学性の目徴結晶学」,に次の記述がある.『結晶系の員数六あり,第一系の正方底柱は三軸皆長短相等しくして交角皆直角なり.第二系の正方底直柱は二軸長短相等しく一軸不等にして交角皆直なり.第三系の長斜方六面体は四軸あり,その三軸は皆長短相等しく,もう一軸はこれらに交角直であり,その縦軸の長さは不等なり.第四系の長方底直柱は三軸皆長短不等にして交角皆直なり.その外形は長方底直柱形と,その傍側四稜の変して小面となりたる斜方底直柱体(図2)と,長方底直柱形の頂底八稜を削り去りて小面となしたる斜方底八面形(図3)あり.第五形の長斜方底斜柱は三軸皆長短不等にしてそのうちの二軸は直交し,一軸は斜交す.第五系の重斜方柱は三軸皆長短不等にして交角皆斜なり.』本来は7つの晶系であるが,三方晶系が六方晶系と区別されていない.第一系から第六系は現在では,立方,正方,六方,斜方,単斜,三斜晶系であることは明らかである.しかしこの時期には用語はまだ確定していない.問題の斜方晶系は「長方底直柱」であり,直訳で長すぎる名前だがこのほうがわかりやすい.そして外形を記述した,「斜方底直柱体」や「斜方底八面体」もわかりやすいし,なぜ斜方底という理由も理解しやすい.「羅斯珂氏化学巻五」は1875年にロスコーによって書かれたものであり,茂木春太が翻訳して,平岡盛三郎が監修したものである.この中の第十八章が結晶学である.前書と同様に,等軸晶属,六方底晶属,正方底晶属,斜方底晶属,一斜晶属,三斜晶属の六類に分けられると述べている.この本では「system」を「晶属」と訳し,「単斜」を「一斜」と訳している.また六方底,正方底,斜方底と「底」が付けられている.これは底の形状は違うが,柱状であることを示している.「立方」を「等軸」とするのは外形から出発した用語で,鉱物学では伝統的に使われていた.これ以後,ラウエの発見の頃まで発行された単行書を挙げると,(1)『鉱物学初歩』(明18治年),8)(2)『鉱物学教科書』(明治23年),9)(3)『鉱物学教科書:中等教育』(明治24年),10)(4)『新選鉱物学教科書』(明治30年),11)(5)『結晶学』(大正5年)12)がある.これらの著作は訳本と書かれていなくても,外国の2,3の教科書を元に書かれていて,それほど内容は異なっていない.問題は「斜方晶系」の訳語であるが,(2)だけ「斜方系または稜角系」と書かれているが,ほかはすべて「斜方晶系」と書かれている.これを見ると,明治20~30年頃に「斜方晶系」で統一されたようである.これ以後も国内で「結晶学」や「鉱物学」の教科書は数多く出版されているが,1945年以前の教科書の特徴は,(1)三方晶系を六方晶系と区別せず,6つの晶系とした.1820年頃には7つの晶系の存在が確立し,1848年には14種のブラベ格子が報告されており,1891年には230種の空間群が報告されていることから考えると,鉱物学・結晶学の世界では遅れていたように見える.おそらく鉱物の外形観察が主要な研究課題で,内部構造には興味が薄かったのであろう.(2)6つの晶系の呼び名では,六方晶系が六角晶系,単斜晶系が一斜晶系と名づける本もいくらか見られるが,等軸晶系,正方晶系,斜方晶系,三斜晶系は確定している.(3)ブラッグのX線結晶構造解析の話はまったく登場しない.5.斜方晶系が不都合になった要因1912年のラウエのX線回折現象の発見の直後に,寺田寅彦のX線回折実験,西川正治のスピネル構造の解析や種々の物質のX線回折像の研究など,当時のドイツや英国の研究に匹敵する画期的な報告が日本でも出されたが,1920年代になると急激に衰退した.西川が電子線の研究への興味を広げたことなどがあって,物理学分野では回折現象に研究の主体が移って結晶学の興味が減少したという要因もあった.さらに鉱物学や化学の分野では,結晶学研究者の数が非常に少ないことや測定装置を初めとする研究環境に恵まれなかったことなどのために,日本では結晶の外形観察が主流の状態は変わらなかった.132日本結晶学会誌第57巻第2号(2015)