ブックタイトル日本結晶学会誌Vol56No5

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概要

日本結晶学会誌Vol56No5

橋爪大輔置は温度・気流ともに安定性が低く,長時間の測定中に発生する「霜付き」が大きな問題であった.解析では,各多極子の占有率を精密化することから,パラメーター数が莫大となり,大型計算機を用いても解析に数ヶ月から年オーダーの時間がかかった.このため,対象とする試料は,独立な分子数が小さいものに限られ,科学的興味だけで試料を選ぶことができなかった.ところが,この状況は90年代後半に入り一変した.90年代半ばころから,イメージングプレートやCCDといった二次元検出器を搭載した単結晶回折装置,液体窒素の自動供給装置を備えた低温装置が開発され,問題であった測定の短時間化と温調の安定化がなされた. SPring-8のユーザー利用も97年後期から始まり,すでに稼働していたPFと合わせて放射光の利用を視野に入れることができるようになった.実験室系でも人工多層膜ミラーが開発され,集光ビームが使えるようになった.この光学系と高性能な二次元検出器の組み合わせにより,実験室においても,電子密度分布解析を目的とする測定を十分に行えるようになった.現在では,試料のハンドリング環境や技術の進歩も顕著であり,標準的状態で不安定な化合物も扱えるようになり,ターゲットとする化合物の範囲も大幅に広がった.2.3解析環境の発達計算機の飛躍的な能力向上もあり,研究室レベルでの解析が現実的な時間で可能となった.さらに電子密度分布の解釈方法として, Baderにより開発されたAtoms inMolecules(AIM)理論2)が浸透し,多極子展開法プログラムに搭載された.これによって,電子密度分布から結合状態を定量的に評価できるようになった.電子密度分布解析を行うための環境が大幅に改善された.これによって,独立原子数の多い結晶も電子密度分布解析のターゲットとすることができるようになった.3.多極子展開法3.1多極子展開法の原理多極子展開法は, HansenとCoppensが1978年に発表した電子密度分布解析の手法である. 1)この手法は,結晶中に存在する原子それぞれの電子密度分布によって,結晶の全電子密度をモデル化する手法である.電子密度の球対称から外れた電子密度分布を価電子の分布と温度因子の影響を分離して解析できるため,共有結合性化合物において価電子の寄与を検討しやすく,化学分野で最も用いられている電子密度分布解析の手法である.lrρ() r =ρ() +ρ(κ) + (κ’)? ?c r Pv v r∑Rl r∑Plmylm(1)? ?l m=?lrhf f H P f J h lh( h) = ( ) +? ?P y(2)? ? + ? ? ? ?∑?’?∑c v vκκlm lm ? h?l l m=?l多極子展開法は,通常の構造解析(独立原子モデルを用いた解析)において,半径が決まった球,(いわば,パチンコ玉)であると仮定している原子の電子密度を,「半径も形も変化する柔らかいゴムボール」であるとして,対応する原子散乱因子を精密化する手法である.したがって,結晶を構成している独立原子それぞれに,原子の電子密度の半径と外殻電子密度の非球状部分を表現するパラメーターが付与される.なお,各原子非球状部分を表現するために,球面調和関数を用いて多極子展開するために,「多極子展開法」と呼ばれる.式(1)は多極子展開法における原子の電子密度を示す式である.一項目は内殻電子の電子密度,二項目は外殻電子全体の電子密度についての,収縮-拡張パラメーター(κ)と占有率(Pv),三項目は外殻電子の非球状性を示す項で,動径関数(Rl),および,収縮-拡張パラメーター(κ’),密度の方向(y lm)と占有率(P lm),に関する項である.式(2)は式(1)に対応する原子散乱因子である. J lは, R lの一次のフーリエ-ベッセル変換である.本手法では,原子散乱因子を内殻電子と外殻電子がそれぞれ寄与する部分の和として扱う.すべての原子価殻に電子が詰まった内殻電子の寄与は,通常の解析と同様に球状電子モデルで表現される.内殻電子の電子数は原子種により決まっており精密化に含めない.外殻電子,つまり価電子の分布はSchrodinger方程式を解くときに,原子軌道の方向性を表現するために用いる球面調和関数を導入し,各多極子の電子占有率を精密化することで非球状性を表現する.各原子の電子密度の動径変化は,多極子の次数(monopole, dipoleなど)ごとに動径分布の収縮-拡張を表現するパラメーター(κ,κ’)を付加し合わせて精密化する.3.2多極子展開法の利点と欠点電子密度分布解析によって価電子の分布を議論する際に問題となるのが,ともに電子密度分布が球状から外れる原因となる,価電子の分布と原子の熱振動による変位をどのように分離するかである.原子の熱振動と価電子の分布が分離されないままでは,ただでさえ低い価電子の分布がいっそう低くなり,価電子の分布から議論できるはずの科学に,曖昧になる,電子的相互作用を見逃す,観測できないなど,致命的な欠陥が生じる.この影響は,原子の熱振動が等方的,かつ,十分に小さい結晶では,あまり大きくはないが,熱振動が異方的な有機化合物および金属錯体結晶では顕著である.化学結合は, Hirshfeldのrigid bond test 3)で言われるように,結晶構造解析において,一般的な条件下では化学結合の伸縮振動はほかの振動モードに比べ無視できるほど小さい.すなわち, rigidなものとして取り扱わなくてはならない.したがって,結合軸方向の電子密度の球状からのずれは,構造に乱れがあるか,価電子の影響,すなわち,結合電子に由来するものである.電子密度に先だった通常の解析で,精度・確度の高い構造解析を行い,ここで得られた温度因子パラメーターを多極子展開による314日本結晶学会誌第56巻第5号(2014)